みなさんこんにちは!
韓国に留学中の舜基です。
コロナウイルスのため、韓国の大学院ではオンライン授業で講義を聞いています。
大学院の授業としてはいろいろと制約があるこのオンライン授業。
何よりも討論が出来ないのが残念です。
一人で考え込むよりは共有したいという気持ちでこの記事を書こうと思います。
今回は授業の一環で視聴した「暗殺」という韓国映画についてです。
韓国映画について語るだけの知識を持ち合わせていないので、映画の詳細については以下のページをご参照ください。
私はこの映画を植民地の近代性という観点で見ることができると思います。
植民地近代性とは
植民地近代性とは様々な学者が論じている内容であるため、定義づけをする事は難しいけど、簡単に言うと以下の通りです。
(僕もこの分野の専門ではないので、一応参考程度に見てくださいね。大学のレポートとかにそのまま引用しないように!ちゃんと参考文献を読んで確認すること!)
植民地になる前の朝鮮では民衆が飯を食べて生活するだけの生産力を持ち合わせていなかった。植民地時代になり日本から近代的な制度や文物が導入され、朝鮮の人たちの生活は向上した。日本からの資本導入により朝鮮の経済は成長し、解放後の韓国経済の発展の基礎を築いた。
以上のことが学会で一般的に言われていることです。
つまり植民地近代性の論理とは日本による統治は植民地朝鮮の社会を経済的に発展させたということです。
植民地朝鮮を研究する論点は様々ありますが、植民地近代論は民族独立運動の歴史論に次ぐ大きなテーマだと思います。
親日派とは?
さて、植民地時代、朝鮮に資本をもたらしたのは日本ですが、植民地支配に協力的で日帝に追従する存在がいました。
それが親日派と呼ばれる人たちでした。
この親日派には多くの朝鮮人知識人たちが該当すると言われています。(現在もどのような基準でもって親日派と呼ぶのか論争が続いています。)
親日派の特徴としては、当時被支配者でありながらも朝鮮のエリートであり、都市はもちろんのこと地方自治において民衆に影響力を持つ有力者でした。
彼らは日本の近代的な資本を受容し、朝鮮社会に資本を拡大・定着させる役を担いました。
つまり親日派は朝鮮を近代化させるために寄与した一派と言うことができます。
映画「暗殺」に描写される親日派
この映画では上で説明したような親日派の姿が描写されています。
カン・イングㇰは映画の中で権力や富を持つ親日派として描写されています。
そして権力や富のために日本に追従する姿勢を見せます。
目的を遂行するためならば、妻や娘を殺すことを阻みません。
映画冒頭、1910年、朝鮮総督であった寺内正毅に金の採掘権を要求します。
彼は自分の富貴と地位、そして権力を得るために日本に協力する姿勢を見せます。
観点を変えて言えば、彼は日本の植民地政策を進めるためだけに日本に協力したのではありませんでした。
あくまでも彼は富と権力を所持したいが故に日本に追従したのであり、植民地時代に展開された同化政策(朝鮮人と日本人はルーツが同じであり、朝鮮人を日本人と同化させようとする政策)の限界を見ることができます。
なぜ彼はそこまで富にこだわるのでしょうか?
そのヒントが映画の終盤部に描かれています。
カン・イングㇰは彼の娘から命を狙われ、まさに銃で殺そうとしたときに親日行為を正当化する言い訳をします。
「すべては家のためだ」、「すべて民族のためであり、愚かで貧しい朝鮮人を食べさせて、生かせなければならない。」
もちろん目の前に迫る死を回避するために瞬間的に言い放った言葉なので、彼の真意はわかりません。
しかし、貧しい朝鮮民族のために富を増やさなければいけないと言う論理は、親日派を観察する上で重要なことです。
朝鮮の近代化のために日本に追従しながらも富と地位を追求し続けた親日派の姿をカン・イングㇰを通して垣間見ることができます。
今の発展した韓国の経済は突然出現したのではありません。
経済を発展させるためには、成長期以前のインフラ整備が必要となります。
インフラは植民地時代、日本から資本を導入したことにより整備されました。
朝鮮の植民地時代を見るとき、日本の資本によるインフラ整備をどのように評価するのか、また親日派をどう評価するのかが、重要だと思います。
以上、映画「暗殺」を視聴して考えさせられた内容を共有させていただきました。
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